3月18日(水)、サニーストンホテル・富士の間にて、「スキルアップセミナー Vision・Mission・Values (VMV) 吹田JC版」2009年3月度定例会を開催いたしました。

石浜紅子氏(なにわの海の時空館館長・エッセイスト・JCI-UNIVERSITY・JAPANヘッドトレーナー)をお迎えし、JCメンバーとして私達がまちづくり運動を行うために必要な知識・考え方を学びました。普段、私達は吹田を拠点に青少年育成運動や経済開発運動などを行っていますが、広くは世界107カ国、会員数26万人以上の「恒久的な地球平和の実現」を目的とした国際青年会議所の一員です。JCとは?私達吹田JCとは? Vision(目的)、Mission(使命)、Values(価値)、3つのステップに分けて学び、私達の進む方向を今一度自覚する機会となりました。


まちづくり対談:ガンバ大阪・安田理大選手/瀧川健一朗
■プロフィール■
安田 理大(やすだ みちひろ)選手
大阪府吹田市出身のサッカー選手。ガンバ大阪所属。ポジションは左サイドバック及びミッドフィールダー。生年月日、1987年12月20日。身長173cm、体重65kg、O型。
理事長:本日はご多忙の中、ありがとうございます。まず、吹田にあるプロサッカーチーム、ガンバ大阪さんには今までも様々な面で我々の活動にご協力をいただき、とても感謝しております。これからも我々(社)吹田青年会議所は、ガンバ大阪さんと色々な面で協力をし合い、様々な事業や活動を行っていきたいと考えています。そこで、安田選手は特に吹田出身の選手ということで、是非吹田市民のみなさんにたくさんのメッセージを発信していただきたいと思い、今回の対談を企画させていただきました。今日はどうぞよろしくお願いします。
安田選手:今日はよろしくお願いします。
— サッカーフェスタ —
理事長:最初に、毎年われわれが1月に行っているサッカーフェスタについてお伺いします。子どもサッカーフェスタは、吹田市民の中から公募で集まった小学生の子どもたちが、ガンバ大阪の選手と共にサッカーをすることで、プロサッカー選手を身近に感じ、将来の夢をより現実的にかつ身近に感じることが出来るようにとの思いで開催しています。12回目を迎える今年は1月18日(日)に開催しましたが、安田選手には2007年にご参加いただきました。その当時に感じたことを何か覚えていらっしゃいますか?
安田選手:僕が覚えているのは、子どもたちがとにかくすごく元気だったことですね。
理事長:ちょうどオフの期間中で、これからシーズンが始まるぞという大変な時期に参加していただいたと思います、ありがとうございました。ところで、安田選手が子どもの頃には、サッカーフェスタのようなプロの選手と触れ合うような機会はありましたか?
安田選手:そうですね。サッカー教室というのはあまりなかったですね。
— 子どものころの夢 —
理事長:安田選手の子どものころの夢というのは何でしたか?
安田選手:子どもの頃からサッカー選手になりたいと思っていました。
理事長:やっぱりそうですか。たとえば、憧れの選手などはいましたか?好きな選手とか?
安田選手:最初の頃は特に憧れの選手はいませんでしたが、やはりガンバの下部組織にいた先輩の稲本選手に憧れるようになり、その頃からJリーガーの選手になりたいという気持ちがとても強く出てきました。
理事長:それが実際にプロサッカー選手となり、夢が現実になったのですね。その辺りからサッカーに対する考え方は変わりましたか?
安田選手:プロになるとサッカー選手を職業として捉えないといけません。サッカーでご飯を食べていかないと駄目ですし、それまでは学校もありサッカーもありという環境の中、様々なことへ目を向けないといけませんでしたが、プロになるとそうではなく、本当にサッカーのことだけを考えることが出来る、というか、サッカーのことを考えて食事をとる、サッカーをしていない時間もサッカーのことを考えて過ごす、と言ったように色々な意味で24時間サッカー選手、という意識になっていきました。
理事長:そうですか。それではサッカー選手以外に、こんな職業をやってみたいっていう夢はありましたか?
安田選手:う~ん。基本はサッカー選手しかなかったですけど、どうせやるならみんながしないような職業をやりたいとは思っていました。スポーツ選手とかタレントとか、そういうものに興味がありましたね。
理事長:やはり、サッカー選手という夢がすごく強かったのですね。最近の子ども達、というと言葉が少し悪いかもしれませんが、「こんな夢を持っても、現実的に無理だ、叶わない」と思っている子ども達が近年とても多くなってきているようです。我々が行った子どもたちを対象としたアンケート調査でも、「将来の夢は特にない」「普通にサラリーマン」「会社員」などといった答えが多く、我々の子どもの頃の夢で人気の高かった、パイロットやプロ野球選手、サッカー選手などという答えは、少ないようでした。現実的な答えが多かったです。
安田選手:それは、ちょっと悲しいことですね。


— 好きこそ物の上手なれ —
理事長:今年、我々(社)吹田青年会議所は、子ども達にもっと夢を見てもらいたい、もっと強く夢を思って感じてもらいたいと思い、「D-Suita」という高校生を主な対象者とした職業体験の事業を計画し、5月から開始します。
安田選手:それは、「Dream Suita」ですか?
理事長:そうですね、「ドリーム」が一番のキーワードですが、その他にも「ドラマ」や「Do」など、「D」というアルファベット一つとっても、様々な発想が浮かびます。自分に合ったキーワードを一人ひとりが創造していくことで、あらゆる可能性が交錯し、夢が大きく広がっていくと思うのです。様々なところに色んな形の可能性やチャンスはあるのだ、ということをこの「D-Suita」という名前に込めました。さて、この「夢」をこんな風に持ったらというメッセージを子供たちに何かお願いします。
安田選手:やはり、まずは好きなことを見つける、ということが第一ですね。僕もサッカーが本当に好きで、だからこそ誰よりもうまくなりたいと思いました。同じ小学校でサッカー選手になりたいという子はいっぱいいましたが、その子達の100倍は練習した自信があります。好きだったからこそ、そういう気持ちになりました。好きならそれに対しては熱心になることが出来るし突き詰めたいと思うので、何でもいいので、まずは一番好きなことを見つけることが大事だと思いますね。
理事長:吹田の子ども達からすれば、安田選手はすごいスター選手だと思うんですね。もちろんここに至るまでにはかなりのご苦労はされたと思いますが、その見えないところの苦労を知らずに、「サッカー選手に簡単になれる」と思っている子ども達がひょっとしたらいるかもしれません。
安田選手:そうですね。でも、僕はサッカーが本当に好きだったので、苦労したという感覚がほとんどありません。確かにしんどいことはありましたが、小学生の時は伸び幅があるので、どんどん吸収しますし、うまくなっていっている感覚が日に日に増していったので、あんまり苦労したという風には思ったことないですね。
— サッカーを始めたきっかけ —
理事長:サッカーを始められたきっかけはなんでしたか?
安田選手:僕は吹田で生まれましたが、2歳から4歳ぐらいまでは神戸に住んでいました。幼稚園の年少ぐらいにまた吹田に引っ越してきて、家が万博公園の近くだったことや、ガンバのスタジアムが近いという環境もあって、野球よりもまずサッカー、という感じでサッカーに馴染みました。また、その時期にガンバの練習場もスポーツ広場にでき、気づいたらサッカーしかなかった、という感じですね。
理事長:サッカーを続けているうちに、自然にサッカー選手になるという夢につながったのでしょうか。
安田選手:そうですね。はじめてJリーグを見に行った時に、サッカー選手になる、というか、なれるものだと思っていましたね。
理事長:日本でも代表に選出されていますが、世界を意識するようになってきたのはいつ頃からですか?
安田選手:昔から海外のワールドカップや総集編などいろいろ見ましたが、本当に世界を意識するようになったのは、アンダー14という14歳以下の日本代表に初めて選ばれた頃からですね。またサッカーで海外に行くようになってから、その思いは益々強くなりました。
理事長:今、世界を意識されることをおっしゃっていましたが、個人のではなくガンバ大阪の選手としての目標と言うものは何かありますか?
安田選手:Jリーグで優勝したいですね。その上で、クラブワールドカップへ頻繁に出るようなインターナショナルなチームになっていきたいとは思いますね。

— 記憶に残っている出来事 —
理事長:今、ガンバ大阪でプレーをされていて、一番記憶に残っている出来事は何ですか?
安田選手:印象に残っていることはいくつかありますが、やはりデビュー戦とナビスコカップの決勝とマンチェスター戦という、この3つはどれも比べられない程覚えていますね。
理事長:マンチェスターユナイテッドというと、世界でも有名な選手がたくさんいますし、ファンも一番多いですかね。
安田選手:多いと思いますね。
理事長:対戦するのも昔からの夢というか、楽しみにされていたのですか。
安田選手:そうですね。いつもテレビで見て、子どものように憧れている選手と試合ができるので、本当に試合が始まる前までは、「ほんまかな?」いう感じで、現実が信じられない気分でした。この年でそこまでのことができるなど考えていませんでしたが、それでもこの切符をつかんだのは自分たちなので、ピッチに立ったらたとえ憧れの選手であろうが、削りに行くような気持ちでプレーしました。
理事長:あの試合でガンバ大阪が世界で3位になりましたね!吹田市民として吹田にあるサッカーチームのガンバ大阪が世界で3位になった、ということが誇りに思えます。
— 吹田が大好き —
理事長:今、安田選手が育った吹田のまちに対して誇りに感じていることや、思うことはありますか。
安田選手:僕は本当に吹田大好きですからね!!やっぱりガンバがあるっていうのが一番ですが、万博公園という自然があるというのもそうですし、太陽の塔は日本的に有名ですもんね、アサヒビールの工場もあります。そして山田と言うと、僕の故郷で高速にもすぐに乗れるし、都会的なところと自然的なところがあり、とても好きなまちですね。
理事長:それを聞くと吹田の子ども達はますます吹田が好きになりますね。
安田選手:でも実際、僕が子どもの頃より自然が少なくなり、昔秘密基地として遊んでいた場所にマンションへと変わりました。蛍がたくさん見えていたところもありましたが、今はあまり見ることができなくなっているようです。そういうことが少し残念ですが、まだまだ他の市に比べれば自然も多いと思いますし、そういうことをフル活用して欲しいですね。
理事長:ちなみに、安田選手が昔遊んだ場所とか、吹田のここは知る人ぞ知るみたいな場所ありますか?
安田選手:僕、吹田はほとんど行きましたよ。吹田の公園という公園を遊びつくしました。
理事長:そういう話をうかがえると、子ども達もあちこちの公園いって遊ぶかもしれないですね。
安田選手:いやー。遊んで欲しいですね。でも、最近は色々な事件などもあり、親に守られないと危ないですからね。怪我をしたら親も心配ですし。そう言うことがあって、なかなか今の子どもは自由にさせてもらえないかもしれませんが、僕らの時はマンガの中に出てくるように、ランドセルを投げ捨てて、すぐに公園に行くような生活をしていましたね。学校が終わったら日が暮れるまで泥んこになって遊んで、家に帰ったら自分で汚した服は自分で洗って、という毎日を過ごしていましたから、ハングリー精神はその時に芽生えましたね。
理事長:長時間、ありがとうございました。これからも(社)吹田青年会議所として、安田選手を応援いたしますので、ガンバ大阪の選手として、日本代表の選手として、そして何より「吹田の星」としてこれからもがんばってください。
安田選手:はい。ありがとうございました。
